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4代家綱の頃からルーティン化した将軍の「日常」

「将軍」と「大奥」の生活⑤

政治の変化と年中行事に見る主従関係の再構築

 

 将軍は、老中からの伺(うかがい)に対して、伺い通りに裁可する場合は奉書紙(ほうしょし)でできた札に「伺之通(うかがいのとお)りたるべし」と書き、書類に挟み、老中へ下げ渡していた。

 

 ここからは、文書を稟議する様子がうかがえるが、これは初期からではなく8代・吉宗以降、文書によって政(まつりごと)が推進されるようになったことを示している。政治案件が膨大化したため、為政者が政治の合理化を考えた末、文書による通達が中心になったと捉えることができる。

 

 また、時代によって決裁内容も変わった。末期養子(まつごようし)の禁止や享保以降の相次ぐ改革など、時代の変化に応じ、歴代将軍はその対応を迫られた。

 

 行事も然りで、時として従来の行事を強化・実施する。将軍は自己の軍団に武の嗜(たしな)みを喚起させる必要があった。泰平の世の中で、軍役令で規定された武具や従者を十分にそろえず、武芸の訓練を忘れ遊興(ゆうきょう)にふける旗本が多かったためである。

 

 そのため、特に武芸上覧などの諸芸上覧を五番方(大番、書院番、小姓組、新番、小十人組諸番衆の総称)らに求めた。あるいは享保13年(1728)に吉宗は上洛に代わって大規模な日光社参を実施し、のち10代・家治、12代・家慶もこれを継承したのである。

 

 さらに、年中行事では年始御礼(正月元旦~3日)、上巳(じょうし/3月3日)、嘉祥(かじょう/6月13日)、八朔(はっさく/8月1日)、玄猪(げんちょ)の祝(10月1日)、歳暮(12月28日)の際、将軍が諸大名の御目見得(おめみえ)を欠かさなかったことは、本来的には対立関係にある大名と、主従関係を確認し続けなければならなかったためである。1日、毎年の生活の中で、歴代将軍はそれぞれの抱える課題を模索し続けたといっていい。

 

 しかし、やはり規則化された窮屈な日課であることも事実だった。将軍の住居兼オフィスである中奥は、江戸城表と大奥に挟まれ、じつは城内で最も面積の狭い空間だった。そんな中で将軍は寝て、起きて、食事し、政務に励み、時間の許す限り、思い思いに余暇を過ごしたと考えられる。

 

監修・文/種村威史

『歴史人』202110月号「徳川将軍15代と大奥」より)

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